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被疑者取調要領
被疑者ノート













被疑者取調べ要領
 
 まずはじめに、「被疑者取調べ要領」をご紹介しよう。これは、愛媛県警から流出した資料であるが、一般常識から考えても理解できないことが堂々と述べられている。

 ・被疑者取調べ要領はこちら

 内容をご覧いただければわかるが、この内容はもはや
違法どころか、違憲である。 日本国憲法では「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」という供述を拒む権利(自己負罪拒否特権)、いわゆる黙秘権を保障しているはずである。 ところが、自供させるまで絶対引かない、などということは、憲法違反になってしまうことは明白である。

 また、「調べ官の「絶対に落とす」という、自信と執念に満ちた気迫が必要である」とか、 被疑者の言うことが正しいのでないかという疑問を持ったら負けとか、言っているが、 これでは、取調べが冤罪の温床になることは間違いない。

 たとえば、誤認で逮捕されて、まったく潔白でも、 調べる側は「絶対に落とす」という執念気迫で被疑者の言うことが正しいとは絶対に思わないように努力する、 というのであるから、もはやこれは、悪質な宗教団体の祈りのレベルとしか言いようがない

奴らの目的は、事件を未然に防ぐことではなく、自分たちの成績になりそうな事件を、全力を挙げて作り上げることに尽きるのである。
 
取調べ要領について
  
 →実際に取り調べを受けた経験から、所感をありのままに述べてみよう。

 あくまでも取り調べ対象は被疑者すなわち、疑いを被った者であり、犯人と確定した者ではない。しかも、その
疑いとは、捜査側の勝手な思い込みに端を発することもありうるし、私の場合はまさにそれである。従って、、推定無罪の原理が働いているはずであるが、取調べ要領を見ると、どう考えても、警察・検察側が想定した仮説に、無理やりにでもはめ込もうという「初めに結論ありき」の姿が透けて見える。そもそもの土台が、警察・検察側の仮説をいかに供述調書に、こじつけてゆくか、当てはめてゆくか、また、誘導してゆくかということに主眼が置かれている。

 これは、教育や会社等での人間関係にも当てはまることがあり、決してこちらのペースを相手に当てはめて押し付けるようなことがあってはならないし、もしそうしてしまったら、相手からは何も得られることが無くなってしまうと私は思う。

 

1 事前の把握を徹底する

 犯行現場の状況を自分の目で確認し、十分腹入れしておくこと。

→腹入れとはすなわち「先入観を持て」ということである。

 捜査記録は納得いくまでよく目を通す。

→この記録には、捜査官の主観や事実のねつ造が満載されている。

 問題点や疑問点があれば必ず解明する。

(調べ官が迷わされるのはこの辺の詰めが出来てないからである。)

→ここでいう問題点や疑問点とは、自分たちの荒唐無稽な仮説に相反する現実(すなわち、事実との違い)に過ぎないものである。

 

2 被疑者をよく知れ
 被疑者の生い立ち、性格、知能程度、家庭環境、家庭状況、身上、趣味などできる限り把握しておく。

→これは取り調べの場合は、「相手の弱みを見つけ出す」という下心によるものに他ならない。

 被疑者を知れば知るほど調べ官は有利である。

→取り調べの場合は、あくまでも、相手を落とすという目標に対して有利であるという、下品な下心によるものにすぎない。

 前刑の調べ官から聞いておく事も大事である。

→取り調べの場合は、「弱みを引き継ぐ」という下心にすぎないのである。

 他の調べ官とはちょっと違うということを相手に暗黙の内に判らせることも大事である。

→単なる心理的圧迫を与えるという、ヤクザかチンピラ並みの下劣な考え方にすぎない。

 

3 粘りと執念を持って「絶対に落とす」という気迫が必要

調べ官の「絶対に落とす」という、自信と執念に満ちた気迫が必要である

→ここではっきりと明文化されている。「絶対に落とす」これが奴らの目的であり、真実を導き出すというコンセプトとは明確に異なる。しかし、こうやって実際の会社や組織でも会議やミーティングが行われていることが多いのではないか。教育や子育ても共通しているウィークポイントかもしれない。真実をはっきりさせることではなく、被疑者を罪に陥れることこそが、奴ら警察・検察の目的なのである。

 

4 調べ室に入ったら自供させるまで出るな。

 被疑者の言うことが正しいのでないかという疑問を持ったり、調べが行き詰まると逃げたくなるが、その時に調べ室から出たら負けである。

→すでに「勝ち負け」で考えていることが、小学生レベルとしか言いようがない。。そもそも、相手の主張が正しいのではないか?と疑問を持ったら「負け」だそうだ。こんなバカなコミュニケーションはあり得ない。

 

 お互いに苦しいのであるから、逃げたら絶対ダメである。

→お互いに苦しいのではなく、取調官が被疑者に対して一方的に苦しみを与えているにすぎない。こういうことを恥ずかしげもなく表現できるのは、まさしく権力ボケした傲慢以外の何ものでもない。

 

5 取調べ中は被疑者から目を離すな

 取調べは被疑者の目を見て調べよ。絶対に目を反らすな。

 相手をのんでかかれ、のまれたら負けである。

→目を見て話すとは?下心がミエミエである。取り調べの場合は、自分たちの仮説が間違えていることを悟られないため、ひたすら威圧し続ける為なのである。これも小学生レベルの思考回路、ケンカの手法としか言いようがない。したがって、口調も敬語ではなく命令調、べらんめえ口調、けんか腰であることがほとんどであり、チンピラやヤクザの脅し方と全く同じである。また、検察官はまるで「バカにものをいうような態度で臨んでくることが多い。さらに言えば、警察・検察が高圧的に出るときほど、実は自信がないことの現れでもあるということを我々は忘れてはならない。

 

6 被疑者の心を早く読取れ(読心術を身につける)

一対一の勝負、腹の探り合いだから被疑者の心を早く読取れぱ勝負は早い

→読心術など片腹痛い、ヘソで茶を沸かすといったところ。こんな教育を受けていてまともなコミュニケーションがとれるはずもなく、すべからく読心術など身に付くはずもない。またここでも勝負などという小学生レベルの言い回しをしている。いい年をした大人が、知能の低さを露呈している。まさに、バカも休み休みぬかしやがれといったところ。

 さらに悪質なことに、医官を動員して根拠もはっきりしない「うそ発見器」にもかけてくる。結果は教えず「さっきの検査で結果ははっきりしているから」としか言わない。単に「よくわからなかった」ということがはっきりしたに過ぎないのである。

 

7 騙したり、取り引きは絶対にするな。

真実を話させねばならない。嘘偽りは後で必ずバレて取り返しがつかなくなる。

→実際これでボロが出て問題となった警察官もいる。しかし、今後の司法の進み方の中で、「司法取引」が正当化されてゆくようである。まさに自分で自分の首を絞めるようなことしか、この愚かな組織はしないつもりなのであろう。

 

8 言葉使いには絶対に気をつけること

被疑者を馬鹿にしたり見下すような言葉は絶対に謹むこと。こちらは大したことでないことであって、被疑者に取ったら一番嫌なことだったりする

→わかっているくせにやっている。それは最も愚かで悪質としか言いようがない。前項の「相手をのんでかかれ。のまれたら負けだ」ということの具現化なのであろう。このあたりでもすでに自己矛盾が露呈している。特に警察官は少なくとも敬語は使わないことが多い。検察官も、相手を見下した言葉づかいしかしない。徹底的に主従関係を作り出す。まさに、スタンフォード大学の監獄実験が現実に行われ、しかも20日常という長スパンで行われ、嘘の自白を生み出すのである。

 

9 親身に相手の話を聞いてやることも必要

 家族や身内のことまた事件に関係なかったとしても何でも真剣に聞いてやる。

 同情することも必要である。

→これらも、単に「相手の弱みを見つける」という下心、「同情したふりをして相手を落とす」という策略にすぎない。

 

10 調べ官も裸になれ

 調べ官の生い立ち、学校生活、私生活等裸になった話をすることで、同じ人間であることの共感を持もつ

 調べ官は優位に立つことは絶対必要であるが、時には、ある意味では馬鹿になることも必要。

→相手を落とすという下心からくるものであり、真の意味での自己開示ではない。また、「優位に立つことは絶対必要」と位置付けていることからも、バカになることというのは、相手をバカにする一つの姑息な手段的なことにすぎないということがばれている。さらに、対人関係において、絶対的な主従関係が出来上がっている環境において、真の意味での自己開示などあり得ない。

 

11 被疑者には挨拶・声をかける

留置場内で検房時等必ず被疑者に声をかけ挨拶する。

→日常の変化の少ない留置場内で、声掛けはともすると「味方になってくれるかも。話せばわかってくれる人かも」という、油断を生ませるための手段にすぎない。

 

12 被疑者は、できる限り調べ室に出せ

 自供しないからと言って、留置場から出さなかったらよけい話さない。どんな被疑者でも話をしている内に読めてくるし、被疑者も打ち解けてくるので出来る限り多く接すること。

 否認被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ。(被疑者を弱らせる意味もある)

 平素から強靱な気力、体力を養っておく必要がある

→被疑者が留置場の檻の中から取調室に連行されるときには、たとえどれほど短時間で目と鼻の先に取調室があったとしても、必ず手錠と腰縄をつけられて歩かされる。これはすでに、絶対的な服従状態を作り上げることによる、被疑者への圧迫であり、劣等感を植え付ける人権侵害以外の何ものでもない。しかし、表向きにはこのようなことは伝えられることはなく、報道のカメラの前では、わざとらしく手錠を布で隠したり、顔を見えにくくするためのパーカーなどを渡したり、「警察・検察側に好印象を抱かせるためのパフォーマンス」には労力を割くのである。

 また、取り調べ中は、常に腰縄はつけられた状態で、やはり劣等感と上下関係を植え付けた状態で取り調べが進行する。逃亡の防止というのはあくまでも建前上の言い訳にすぎない。

 

13 補助官との意志の疎通

 調べ官と補助官との間には阿吽の呼吸が必要、タイミングがよいとその一言で落ちることがある。

 調べ官には、話さないことでも、補助官には、気を許して気軽に話す場合がある。

→ここでも「落ちる」という表現方法を明確に用いている。すなわち、奴らにとって、取り調べとは「真実を聞き出す」ことでも「被疑者に理解を示す」ことでもなく、警察・検察が勝手な憶測(ほとんどが自分たちにとって最も有利となり、成績アップにつながるストーリー)で作り上げた荒唐無稽な仮説を、いかにして被疑者に「自発的に」「自白させるか」あるいは、誘導尋問で供述調書にサインをさせるのかという演出にすぎない。

 

 このようなことを毎日毎日、社会から切り離され、孤独と絶望の中で繰り返される。そうすると、メディアでの報道でよく言われるような「やってもない罪を認めてしまう」「知らなかったことを知っていたと言ってしまう」「意識していなかったことですら計画的犯罪だったと自供してしまう」ということが実際に起こってしまう。

 

そして、この「自供」をしない場合は、「否認事件」として扱い、その報復措置として、保釈申請を却下し続け、とにかく被疑者を精神的に追い込むといった、いわゆる「人質司法」という手段がとられるのである。

 すなわち、警察・検察の描いた仮説に(たとえその仮説が間違っていたとしても)素直に従えば「うい奴じゃ」ということで、保釈が許可されたり、裁判において罪が軽くなったりする。

 逆に、警察・検察の描いた仮説が全く荒唐無稽なものであり、バカげた話であったりした場合に、「それは違う」と真実を訴え続けた場合「生意気な奴め」ということで、拘留が継続される。

 さらには、裁判において、司法の考え方では、「否認」というのは「警察や検察の主張と、私の主張は違うという事実を主張している」のではなく「反省の色がない」と解釈され、相場以上の刑罰が着せられることになる。

 

 以上、被疑者取り調べ要領と、一般常識ついて、その乖離を示してみた。重要かつ恐ろしいことは、この被疑者取り調べ要領の内容が、親方日の丸で税金をつぎ込んだ教育として公明正大に行われているということである。

 全くの無駄遣いとしかいいようがなく、司法の教育は、ある意味、「チンピラやヤクザ養成所」と言っても過言ではない面を持っているということ、そしてそれらが血税で運営されているということを、我々は忘れてはならない。

 
警察は、国民の税金によって雇われたガードマンにすぎないにもかかわらず、飼い主にかみつく真似を平気で犯すのである

 
 
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